تسجيل الدخول美佳は端末の前で立ち尽くしていた。目の前には、選択肢のリストが無機質に並んでいる。──どの記憶を代償にするか。それは、命を差し出すよりも苦しい決断だった。「忘れたくない……全部、わたしの一部なのに……」でも、もう迷ってはいられない。このシステムが暴走すれば、誰かの大切な記憶が消され、改ざんされる。それは、自分自身がかつて怯えた未来。純や彩音、そしてユリや玲たち──藍都学苑で出会ったすべての人たちの未来を守るために、美佳は口を開いた。「高校二年の……文化祭の記憶。あれを──消して」心がちくりと痛んだ。舞台裏で準備に追われ、クラスメイトと本気でぶつかり合った、あの汗と涙の日々。だけど、その記憶が引き換えになるなら──。「記憶削除、承認」端末が淡く光り、美佳の中で何かが静かに切り離されていった。涙は出なかった。けれど、胸の奥にぽっかりと空いた空白が、今も何か大事なものを告げている気がした。直後、美佳の身体がふわりと浮き上がり、再構築プログラムの中心核へと運ばれる。白い空間に、無数の記憶データが浮遊している。人の感情、時間、選択。すべてが形を持ち、美しくも脆い光となって漂っていた。「Type:Zero、起動準備完了」声が響き、プラットフォームに美佳が立つと、身体が透明な膜に包まれるような感覚が広がる。コアの少女が再び姿を現し、今度は小さく微笑んでいた。「あなたの意志は受理された。LAPIS中枢は、これより再構築ルートを変更する。制御権限を“Type:Zero”に移行」視界がぐにゃりと歪み、次の瞬間、無数の光が美佳の身体に吸い込まれた。誰かの記憶、怒り、悲しみ、そして愛情が流れ込んでくる。圧倒的な情報量に息が詰まりそうになるが、美佳は耐えた。
美佳の指先がコアデータに触れた瞬間、視界が真っ白に染まった。身体の重さも、足元の感覚も消え、ただ無音の空間に浮かんでいるような感覚だけが残った。 「ようこそ、中枢へ」 声がした。柔らかく、それでいてどこか無機質な響き。目を凝らすと、そこには一人の少女が立っていた。白いワンピースを纏い、年齢は美佳より少し幼く見える。 「あなたは……誰?」 「私は“LAPIS”の中核。再構築プログラムの意志そのもの。人間の記憶を管理し、選別し、再設計する存在」 少女の声は澄んでいて、美しい。それなのに、底知れぬ寒気を感じさせるのはなぜだろう。 「どうして……私をここに?」 「あなたの記憶に、特異点があるから。通常の記憶回収では触れられない“歪み”。あなたの選択が、このシステムの未来を決める。あなたには、“書き換える資格”がある」 「わたしが……LAPISを書き換える?」 美佳は自分の胸に手を当てた。そこにはまだ、あの熱のような感覚が残っている。あの時、黒い影を弾いた光。あれは──自分の中にある“想い”の力。 「記憶とは、情報だけではない。“想い”が繋ぎ止めるもの。なのにあなたたちは、それを切り取って並べ替えようとする。そんなこと……わたし、許せない!」 コアの少女は一瞬、表情を曇らせた。 「ならば、あなたはこの世界の再構築を拒むの?」 「わたしは……思い出を壊したくない。誰かの大事な時間を、勝手に選んで消すなんて間違ってる!」 その言葉に応えるように、美佳の全身が淡く光を放ち始める。空間が揺れ、構造が崩れかける。 「自己主張を確認。再構築プロトコルを一時停止。判定中──」 少女が一歩、近づいた。 「もしあなたがこのシステムを書き換えるなら、代償が必要になるわ」 「代償?」 「あなたの記憶の一部を、失ってもらう。そうでなければ、この中枢への干渉は不可能」 美佳の脳裏に、いくつもの光景がよぎる。家族との時間。高校の教室。同級生の笑顔。朝倉純と出会った日。七海彩音の真剣な眼差し。 「……それでも、変えたい。記憶を選んで消すシステムじゃなくて、誰かを守るための場所にしたい」 一瞬の沈黙。そして── 「あなたの意志を確認。再構築ルートを変更します。新しいコード名は──“ミカ・タイプゼロ”」 少女の姿が
ユリと美佳がコアデータに近づいたその瞬間、空間に異変が走った。辺りの光が一気に青白く点滅し始め、警告音のような低音が地鳴りのように響く。「侵入者を確認。LAPISシステム防衛プロトコル、起動します」機械的な女性の声が空間全体に響き渡った。声に反応するように、宙に浮かんだ幾何学模様が回転を始め、中央の立方体──コアデータの周囲を囲むように結界が展開される。「来たわね……防衛機構」ユリは怯むことなく立ち上がると、美佳の前に腕を広げて立った。「後ろにいて、美佳。ここはわたしが対処する」「でも……ユリ、一人でなんて無理だよ!」「わたしには、LAPISのシステムにアクセスできる裏ルートがある。もともと“管理補助者”として潜入してたの。自分の意思で、ここに来たのよ」ユリの声には、迷いがなかった。空間の一角に、黒い靄のようなものが渦巻き始める。それは形を取りながら、人型に変化し、美佳の目の前に立ちふさがった。「……これが、ラピスの“防衛存在”? 人間の形をしてる……」「これは“記憶に囚われた人たち”の投影なの。自分を失い、再構築に完全に飲まれた者たち……意志を持たない、プログラムに支配された影」影たちが一斉に美佳たちへと襲いかかってくる。ユリは懐から小型の端末を取り出すと、それに手をかざした。すると、空間の一部がまばゆい光を放ち、何かのシールドのようなエネルギーが発動する。「シールド展開。5分しか持たない。今のうちに、あのコアに接触して!」「わ、わかった!」美佳は息を詰めながら、コアへ向かって走り出す。周囲を舞う光、警告音、迫りくる影。まるで夢の中を走っているような感覚だった。だが、美
宮下ユリの瞳には、確かな決意が宿っていた。かつては内気で、誰かの後ろに隠れていた少女──だが今のユリは違う。LAPISの中で何かを得て、何かを失い、そして美佳の元へ辿り着いた。「ユリ……どうしてここに?」「わたしも、アンケートに答えたの。……そして、あの“再構築”に巻き込まれた。覚えてないと思ってた。でもね、美佳のこと、忘れられなかった。わたしの中に、ずっと残ってたの」美佳の胸の奥で、何かが微かに震えた。ユリは高校時代、同じクラスで、特に親しいというわけではなかった。でも、廊下ですれ違えば微笑んでくれた子だった。話した記憶は少ないのに、その微笑みはなぜか、はっきりと脳裏に焼きついている。「あなたの記憶が、わたしの中に共鳴したの。『再構築プログラム』は、記憶を操作するだけじゃない。“似た者同士”を引き合わせる性質があるみたい……」「それって……偶然じゃないってこと?」ユリは頷いた。「LAPISは、ただの意識拡張ツールなんかじゃない。これは、人間の“魂”そのものを編集する装置。データのように感情を切り貼りして、望ましい人物像を作り上げようとしてるのよ。…でも、それに抗う力も、ある。」そう言いながらユリは自分の胸を指さした。「“本当の記憶”が、まだ残ってる。再構築されても消えなかった思い出──それが、私たちをつなげたの。」美佳は息を呑む。もしかして、自分にもそんな記憶が?「わたしにも……ある。よく思い出せないけど、誰かの手を、強く握った感触……。誰かの声が、わたしの名前を呼ぶ……そのとき、すごく安心した気がしたの」ユリがそっと美佳の手を取る。「その記憶が、きっと答えなの。あなただけじゃない、わたしも、彩音も、玲も、み
扉をくぐった瞬間、美佳の全身に冷たい電流のような感覚が走った。先ほどまでの白い空間とは打って変わって、そこはまるで巨大な図書館のような空間だった。天井まで届く無数の棚には、透明なディスプレイのようなものが並び、そこに光の文字や映像が流れている。「ここが……LAPISの中枢層?」美佳が呟くと、目の前に1つのディスプレイがせり上がる。そこには彼女の顔写真、そして「被験体No.037」と表示されていた。「なに……これ……?」美佳の指が震えながら画面に触れると、次の瞬間、無数の映像が彼女の目の前に浮かび上がる。アンケートに答える彼女の姿。そのデータを転送するLAPIS管理者たち。そして、彼女の意識状態のモニタリングログ。「LAPISに接続する被験体は、生活困窮者、精神的不安定層、あるいは過去にトラウマを抱える者が好ましい」「彼らは抵抗しにくく、“再構築”による影響が顕著に現れる」次々と浮かび上がるメモ、報告書、会議記録。それはまるで、無断で実験に利用された人々の告発文のようだった。「ふざけないで……! 私たちは、ただ、アンケートに答えただけなのに……!」怒りが胸を満たす。自分だけじゃない。七海彩音も、宮下ユリも、そして──有栖川玲も。「これが“中枢層アーカイブ”。LAPISが収集した膨大な記憶と感情、そして……実験の履歴だ。」またしても声が背後から響いた。振り返ると、今度はスーツ姿の男がいた。だがその顔には仮面のような意識遮断装置がかぶさっており、誰かはわからない。「あなた、誰……?」「この中枢で語られる言葉に、個人の名前など不要だ。だが、お前が知る必要がある
──まぶしい。目を開けた瞬間、美佳は自分がどこにいるのか分からなくなった。足元に広がるのは、どこまでも白い床。その上に散らばる無数の断片─│写真、日記、教室、駅のホーム、アンケートの画面。「ここは……?」声に出すと、自分の声がやけに遠く響いた。重力も温度もない空間。ただ、記憶だけが散らばっていた。「ようこそ、“L-001記憶層”へ。」不意に背後から声がした。振り向くと、そこに立っていたのは──朝倉純だった。「純……くん?」美佳は言葉を詰まらせる。藍都学苑時代、誰よりも穏やかで、優しい眼差しを向けてくれた少年。その姿は、あの頃のままだった。「君の記憶が作り出した、ぼくの像さ。本物のぼくじゃない。」「じゃあ……これは全部、私の記憶?」「そう。LAPISが接続を試みるとき、最初に通るのが“意識の整合”だ。君の中にある未解決の断片を整理し、今の“君”を再定義する。」純の声は優しく、美佳を導くように響いた。「見えるかい? あれは、君が“後悔した瞬間”だ。」純が指差した先、映像のように浮かぶのは、七海彩音とすれ違った日の教室。無言で背を向けた美佳の表情と、寂しげに肩を落とした彩音。「私は……」「君は選ばなかった。ただ、それだけさ。何かを選ばなかったことが、誰かの記憶には“拒絶”として残る。それが、記憶の交差点。」「でも、どうしてこんなものを見せるの……?」「LAPISは、君の“再構築の意思”を確かめようとしているんだ。自分自身